しゃかいじん3ねんせい

くだまいたりするブログ

離職一年を目前に迎え

11月だかに春先の就活セミナーで知り合った友達の内定がきまり、その子に「バイト始めてからだらけているとおもう」といわれ11月後半から12月前半に火がついたように就活をした。けれど殆ど不発に終わり、毎回そうだ、私は毎回そうなのだとおもった。5月8月12月と焦りにかられ、短期間に数打ちゃあたると上から下まで応募し面接に行き玉砕をする、私はいつもそうなんだ。

そのうちの一社から内定をいただいた。先週の頭かな。家から近くて、車の部品の一般事務の正社員。あれ前にもどこかできいたような話。

ネットの求人サイトに正社員で三年目の給与が360万円…に飛びついた案件。休日は100日前後…面接では最初は試用期間から残業代こみの額面19万。試用期間は社保なしで、試用期間でだめなら延長かパート契約、もしくはそこで打ち切り。たまに車の運転があるかもしれないが、正社員になる人間なのだからそういうのも文句を言わずにやってほしい…などなど。わらにも縋る思いで、はいはい出来ますと答えたわたし。ペーパードライバーだけど。

そして内定をいただき、そこから労働条件通知書を貰うまで私の不安はずっとあった。
19万でやっていけるのだろうか……
車の運転は…?都内なんて運転したこともないし、そもそも教習所の車しか乗ったことない人間だよ…もし事故にあったら…?
試用期間後に正社員になれないかもしれない
社保なし…万が一にも試用期間が伸びた場合…パートの場合どうなるのか…。

先日労働条件の通知書を貰い、その不安が火山のように爆発。試用期間のことしか書かれていなかったからだ。試用期間は最低賃金+残業代の月給換算。試用期間は有期雇用なので昇給賞与なし。更新はなし。(ただし話合いで変更の場合あり) ここでやっていけるのか不安で不安で仕方がなくなり、父に連絡をする。
父は「正社員求人で内定を頂いたのだから、試用期間だけではなくその後の条件についてが無ければ考えるもなにもない」といい、また車の運転が業務に加わる可能性を示唆したところものすごく反対をされた。全て私が不安視していたことを、まるで私の心を読むかのように言う父に涙が出そうになった。
もう後がないから、この会社にすべきなのかどうなのか悩み、たぶんまたこの内定も蹴ってしまうのだと思う。明日、ハロワやしごとセンターのアドバイザーに相談しにいくが、私の気持ちは変わらないような気がする。友人は皆、その仕事にするべきだと言うけれど、わたしにはできるか不安で不安で仕方がなく、もはや面接をしてくれたその会社の人たちに恐怖感しかなくなっていて(面接はほのぼのとしていたけれど、待遇の話のときはやたら凄みがあった!)こんな夜中に不安を認めている始末。

そういえば、帰国してからしょっ中電話をしていたアメリカ帰りの友人に内定が出た。おめでたい話だし嬉しいのだけど、隣の芝が青々としていて、羨ましくて嫉妬と劣等感に苛まれる。すごくいい子で、私にない一面をたくさんもっていてバイタリティもあってアグレッシブでたった2ヶ月の就活期間でやりたいことを見つけて、勝ち取った人。
一方、やりたいこともあやふやで、将来何になりたいのかも分からなくなっている私は、本当にどうしたらいいのかわからない。 派遣社員になるべきなのか、どこかの訓練校にいくべきなのか。ただお金がほしいのか、やりたいことがあるのか…暗中模索…いや暗夜行路なんだ。
お金を稼ぐビジョンもなく、スキルも職歴もない。無職歴だけはどんどん伸びていく。私の人生はどうなるんだろう。去年の今頃は退職カウントダウンでウキウキしていた。あの頃に戻って、すぐに転職活動をしろと頭を叩いてやりたい。

もうすぐ夜が明ける。そして二週間もせずに新年が始まる…来年のわたしはどうなっているんだろう。芥川龍之介の自殺の原因…ぼんやりとした不安、というやつがほんの1ミリくらい分かる気がする。ぼんやりとはしてはいないけど、めちゃくちゃ存在感のある不安であるけど。むしろ存在感のある不安で、不安レベルでいうならば、芥川龍之介を遥かにこえているのではないかとすら思う。これを書きながら涙を流すくらいには。

けれどクリスマスのももクリおかわりちゃんにはちゃっかりいくので、わたしは来年もかわらずに生きていると思う。もしかしたらどこかで社員になっていたら、イイナ、なんて。

この記事を呼んでくれた奇特な人よ、もしほんの少し暇であるのなら、心の中でもなんでもいいので私に叱咤激励をしてくれ。